17/3/11

青春の*蹉跌(さてつ)といおうか、ボクにとって名古屋という街は悲喜こもごもだ。

その名古屋が生んだ偉人といえば....
真先に思い当たるのが城山三郎さんだ。今は亡きこの大作家を実はボクはお見かけした事がある。
現在は様変わりして何がどうなっているのかさっぱりわからない東京駅、八重洲側のビルの中に昔、旨い中華料理屋があってそこの冷し中華をすすっていたらとなりのテーブルにちょこっと座って旨そうなものをあてに酒を飲んでらした。
ボクは“ワッ城山三郎だ”と無言で仰天してあわててななめ向いの席から城山さんの並びに座りなおして ーバカみたいだが何だか恥しいと思ったのでー 目線が合わない様にした。
そして、これもよく理解らないがビールを注文しちゃった。乗らなきゃいけない新幹線ギリギリまで何だかドキドキしながらその場にいたのだった。
その後、神奈川県辻堂に住む事になって散歩する際に ー城山さんは当時茅ヶ崎に住んでらしたー 会わないかなァ会えないかなァと目を凝らすようにしていたがついぞ会う事もなく訃報を何かで読んだ。v
先日、NHK教育で“唯一人おいと呼べる君へ”というタイトルでドラマ仕立てのドキュメンタリイ ー変な表現だが他に書き様を知らないのでー をやっていて、それが本当に面白くて、終わりに近づくにつれ涙が出て困った。最近は特に涙腺が弱くなった。

城山三郎さんの作家人生は実に感動的だ。
と書くのもおこがましいぐらいだ。

*蹉跌 《つまずく意から》物事がうまく進まず、しくじること。挫折。失敗。「計画に―をきたす」「事業が―する」